1973年からはじまったFPSの歴史。この記事ではそれを一覧にして解説しています。(Wikipedia参照)
FPSのこれまでの歩み
1973年 | アメリカで『Maze War』が発表 |
1974年 | アメリカで『Spasim』が発表。上と合わせてこれら2作品がFPSの始祖となっている。 |
1985年 | 一人称視点搭乗型シューティング「The Eldolon」が登場 |
1987年 | 一人称視点のリアルタイムRPG「Dungeon Master」が登場 |
1990年 | 一人称視点宇宙戦闘機である「Wing Commander」が登場 |
1991年 | id Softwareが自社の迷路ゲームであったHovertank3D(1991)の技術を発展させたCatacomb3D(1991)を発表。これは現在のFPSと変わらない仕組を確立しており、この作品が現在のFPSの原型といえる。 |
1992年 | id Softwareが発表した『Wolfenstein 3D』によってFPSというジャンルが確立 |
1993年 | id Softwareが発表した『DOOM』の世界的ヒットにより、FPSは一気にゲームジャンルとして定着、その後は「DOOMクローン」と呼ばれる粗雑な(もしくはより素晴らしい)類似品が多数出回るようになる。 |
同年 | 擬似3Dの中でもマウスにより上下左右自在に視点を変えられる3D Realms社の『Duke Nukem 3D』が登場 |
同年 | MACにおいてもBungie Softwareが「Pathway Into the Darkness」を発表。 |
1994年 | Bungie SoftwareがMACで「Marathon」シリーズを発表。 |
1995年 | Wizardryで有名なDavid W. BradleyがRPGとFPSの融合を目指し、ストーリー性を重視した「Cybermage」を発表。様々なジャンルで活躍したゲーム開発者が多数FPS開発に参加することでその可能性を広げ、また、その技術をRPGなどに転用するなど、様々なゲームジャンルに革新をもたらすこととなった。 |
1996年 | id Softwareから発売された『Quake』により「完全3D」のFPSが誕生した。 |
1997年 | id Softwareが『Quake2』を発表。Quake2では更なるグラフィックの質が高まっただけでなく、敵がプレーヤーの攻撃をしゃがんでかわそうとするなど、敵キャラクターが攻撃重視の動きからある程度防御もするようになった。 |
1998年 | Epic Games社から発売された『Unreal』では、UNREALエンジンによりQuake2エンジンを遥かに越える驚異的なグラフィックの美麗さで、3ヶ月たてばグラフィックが陳腐化されるといわれるほど進化の速いこのジャンルでも、その後1年近くトップランナーであったほど頭一つ抜きん出ていた。さらに、敵キャラクターが銃を向けられたら壁を利用してかわしたり、カンフー映画のようなアクロバティックな動きでプレーヤーを幻惑しながら攻防一体の攻撃するなど、まるで人間が操作しているかのような知的な敵AIは当時としては革新的で、その後のFPSの進化に大きな影響を及ぼした。 |
同年 | Valve Software社の『Half-Life』を発表。こちらのグラフィックはQuake2エンジンをライセンス取得して独自で拡張したGoldsourceエンジンで、すでにQUAKE2エンジンの作品がありふれた中ではさほど目立つ質ではなかったが、敵AIの素晴らしさ、ゲーム性の高さはUNREALと共に当時の最高レベルであり、多くのゲーマーを魅了した。 |
1999年 | 『Unreal Tournament』や『QuakeIII』が発売。こちらはFPSの在り方を変えた存在としてシングルプレーをマルチプレーと同様の物とし、シングルプレーよりマルチプレーをメインとしながらヒット作となった。 |
同年 | 元はHalf-lifeのMODで有りながらゲームシステムを完全に改変した『Counter-Strike』が発表。 |