T-ARAのジヨン出演のドラマ「ドリームハイ2」でのジヨンの演技に関する韓国サイトの考察記事です。
ソース
http://delaytimes.tistory.com/498
ドリームハイ2はたった2回目の放送で最も期待されていたドラマから答えのないドラマへと転落してしまった。
もちろん、今は2回が放送されているのみであることはいくらでも逆転の機会を持つことができるが、競争作のサラリーマンチョハンやビトゴ影が日々成長をしている状況においては後発ではあるがすぐに押されている姿は、決して良い状況ではないと思う。
まだ本格的な物語が始まっていないというのが唯一の希望ともいえる部分だが、現在見られるドラマの姿は、決して今後もすごくおもしろいんだという期待をするのは大変である。
もしかしたらこういった要因から早期に打ち切られるのではないかと心配にもなる。
総16部作であるドラマなのに半分の8話になってもこのような状況が続く場合は早期終映も十分にありうる状況なのに、今見られる状況はまさに総体的難局に陥っている様子で、容易に抜け出すのが難しいので十分に打ち切りの可能性は高いのではないかと思う。
現在、ドリームハイ2が示す問題点はかなり多いが、そのうちの一つは、過度な幼稚さといえる。
休みの期間を狙ったティーンドラマだから、少しは軽く、少しは幼稚な味があるほうが良いものの、現在見られる姿は、ドラマのアイデンティティを揺さぶっている。
これが果たしてドラマなのかコメディのかまったく区別がつかない状況だと言ってもいいほど、昨日の放送で見られた歓迎式ではそれを表していた。
キリン予告に入ってきたアイドルへの歓迎式をするのはただ視聴者を笑わせようしようとしていたのか、歓迎式の状況とは別に遊ぶ画面と、そして過度な扮装などは幼稚だという表現をするしかなかった。
ここにパクチニョンが演技するヤンジマンまで加わってしまったら、それこそ歓迎式は、精神が散漫になるだけで、大きな意味のない姿だと見ることができる。
問題は、歓迎式の場面は問題の決定版なのだがそれ以外のシーンも、程度をやや減らしただけで質よりもコミックな状況を描いてばかりいる様子だったし、これはいくらティーンドラマで楽しくしようとしているドラマであっても行き過ぎだといえよう。
ここに加え、非常に野心に充ちたように準備したと見れるダンスバトルはむしろドラマの限界をはっきりと示すものではないかと考えてみたい。
ジェイビとジュニアのダンスバトルは、見方によっては製作陣の2話のハイライトとなることを願いながら作った場面だといえる。
もちろん、ハイライトになるだけのことはあった。昨日の放送で最も少ない場面で。
JYPの新人オーディションで1位に選ばれたという二人のアイドル企画会社の新人には良い踊りの実力を持っていたのだろう。
これを利用して視線を引くような場面を作ろうとしたのだろうが本当に画面から目を背けたい様子だった。
無伴奏の中ダンスをしてそれに後で歌をかぶせたような不自然さは、ダンスバトルを本当にぎこちなくしてしまったためドラマの設定上、最高のアイドルとその裏でバックダンサーをしていた人物のダンスバトルというにはあまりにもレベルが低く見えた。
視聴者たちが期待していた姿とは少しずれてしまったこのような姿は、現在、ドラマがもつ最大の問題といえるわけだ。
状況がこうなってはますますジヨンが浮き彫りにされていくことになる。
主人公といえる学生たちの中で最も状況に合う演技をジヨンが披露してくれたのでそれさえもドラマに日が差すような希望を抱かせてくれたと見れる。
過度にオーバーにすることなく、感情を明確に見せてくれるジヨンの演技はリアンのぎこちない演技の饗宴によりそのキャラクターを見事に消化した。
ティアラはウンジョンに映画のキャスティングをとられたニュースを聞いた時の姿は、その状況自体が笑えたが、同時にその映画に対する意志も明らかに垣間見ることができた。
ジヨンが演じるリアンというキャラクターは演技に対する夢がとても大きい人物なので、その意志と意欲のような部分をただ一場面によく盛り込むことができた。
この後に理事長であり所属事務所社長のキムジョンテと会話をしている部分では、演技が副業ではなく、主な仕事だと考えているリアンの性格を確かに示している。
キャラクターが不明な現在のドリームハイ2で、ジヨンは2話だけでリアンというキャラクターを確実に視聴者に印象付けさせたといえる。
これらのことから状況に応じた楽しさを与えることができる表情の演技のような部分において、ジヨンはより一層期待させてくれるようだ。
映画監督と会う席で見られたジヨンの表情の演技はティーンドラマで期待されるような笑いを作ってくれた。
状況と絶妙に適合されて見られるようなシーンは、抵抗感なく楽しむことができる。
1話で示されている時代劇の演技がまた見れるという瞬間から、視聴者たちは笑うことができ、それをあまりにも真剣にしようとするジヨンの姿はきちんと見所を作ってくれた。
真剣だが笑うことができるこのような姿こそ、まさにティーンドラマで見ることができる最大の魅力だが、現在それを生かしているのはジヨンだけなのだ。
無理に笑わせようとするのではなく、キャラクターを介して笑いを作って魅力を自然に見せることに関して、ジヨンの姿は演技者というタイトルが本当にぴったりだ。
3話が放送されると、より視聴率が落ちないか心配になるが、これからは少しドラマが重くなれば(コメディー部分を減らせば)良くなるだろう。
現在あまりにもバンバン浮かび上がる雰囲気はドラマの可能性がないと感じられるように作られているばかりか、さらには集中できないようになっている。
ドリームハイ1ではこれまでのストーリーが素晴らしいと言うことはできなくても、少なくともドラマの緊張関係が着実にあり重さとのバランスをとることができていた。
しかし、今作のドリームハイ2は、その最小限の緊張関係すら示していないと言っても過言ではないだろう。
チョンジヌンとジェイビの葛藤の構造のようなものより浮き彫りにする必要があり、その葛藤が共感を得られればドラマにも希望を持てるわけだが、果たして現在の製作陣がそれを作り出すのかが疑問だ。
ドラマの核心にならなければならない葛藤構造が大きな魅力を得ることができていない現在の状況は本当に最悪といえるようだ。
パク・ソジュンの演技を期待するにはあまりにも分量がなく、ジヨンの外見だけを信じても限界がある状況なので、二人の主人公の役割が本当に大きい。
是非来週の放送では、もう少し緊張感のある姿が描かれることを願いつつこの文を終える。
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